STORY
共通の想いは「運動遊びの楽しさを伝えたい」。
JUMP-JAMを支える仙台の「きんにく~ず」の底力とは。
2019.09.19
JUMP-JAMがスタートする前から、日常で使える運動遊びを研究し、実践し続けているサークルがありました。仙台市に拠点を持つ運動遊び研究サークル「きんにく~ず」です。「きんにく~ず」の育ての親である渡邊由貴さんは、その活動を継続しつつ、JUMP-JAMの立ち上げ期から参加、現在はJUMP-JAMのプログラム開発にも携わっています。
今回は、渡邊さんに「きんにく~ず」の活動やJUMP-JAMに関わる経緯や想いなどを伺いました。
【プロフィール】
今回は、渡邊さんに「きんにく~ず」の活動やJUMP-JAMに関わる経緯や想いなどを伺いました。
【プロフィール】
渡邊由貴
日本女子体育大学体育学部体育学科、宮城教育大学教育学部特殊教育特別専攻科を経て、1996年仙台市の児童館に体育指導員として採用。2009年運動遊び研究サークル「きんにく~ず」発足。2012年から復興支援事業で福島県の児童館、児童クラブを中心に運動遊びを届ける。2016年JUMP-JAMプログラム開発に参画。2019年4月より名取市下増田児童センター館長就任。
取材当日、体育館で研修を行っていたJUMP-JAMスタッフの中で、ひときわ楽しそうに声をあげながら、まるで子どものようにボールを追いかけている渡邊さんの姿がありました。
日本女子体育大学体育学部体育学科、宮城教育大学教育学部特殊教育特別専攻科を経て、1996年仙台市の児童館に体育指導員として採用。2009年運動遊び研究サークル「きんにく~ず」発足。2012年から復興支援事業で福島県の児童館、児童クラブを中心に運動遊びを届ける。2016年JUMP-JAMプログラム開発に参画。2019年4月より名取市下増田児童センター館長就任。
◆「たのしく」「わかりやすく」子どもたちの運動遊びを考える
取材当日、体育館で研修を行っていたJUMP-JAMスタッフの中で、ひときわ楽しそうに声をあげながら、まるで子どものようにボールを追いかけている渡邊さんの姿がありました。
子どもの時から、外で一日中遊んでいたという渡邊さん。「今も子どもの頃の延長で遊んでいるようなものです」と笑顔で汗をぬぐって取材に応じてくれました。
聴覚障害の子どもたちの体力づくりを考えるため、特別支援教育を大学で学んだ後、仙台市の児童館へ運動遊びを「たのしく」「わかりやすく」「安全に」指導できる体育指導員として就職。その後ずっと児童館で子どもたちと向き合ってきた渡邊さん。
「教育的な理論に沿いながらも児童館らしい遊びの要素を取り入れてきました。学校で使わないような大きなボールや珍しい道具を持ってきたりすると、児童館の子どもたちはとても喜びました。こんなに喜んでくれるのなら、もっと運動遊びを勉強したいなと思って研究を始めたんです」。
ある時、当時の体育指導員に向けた研修を担当することになり、全員が顔を合わせる機会がありました。メンバーの多くは20代の若い子たちで、「ああ、この子たちならできることがたくさんある」と感じていたところに、チャンスが訪れました。県内の児童館職員向けのイベントで、何かできないか打診されたのです。渡邊さんは、それを「体育指導員たちが、効果的な運動遊びとは何かを発信する良い機会だ」ととらえました。
体育指導員たちは、そのイベントに有志団体として参加することになり、この日だけ臨時にグループを結成。その名も便宜的にわかりやすい「きんにく~ず」となりました。
その日だけで解散の予定だった「きんにく~ず」。ところが、このときつながりができたメンバーたちは「運動遊びをしていく中で、普段の悩みや困っていることなどをシェアしながらいっしょに勉強する仲間ができた。このまま続けたい」という思いを渡邊さんに伝えてきたのです。
活気あふれる雰囲気のチームはその後も運動遊びの楽しさを広める活動を続け、今年で10周年を迎えます。
当時、渡邊さんは子どもたちの遊びに関して、子どもたち自身が忙しくて運動する時間が取れていないということと、ケガが非常に多いことが問題だと感じていました。
「『転んだときに手が出ないよね』という話題は出るものの、だからどうするという話まではなかなか発展しないんです。反射が原因ということがわかっているなら、そこに効果的につながるような遊びを提供していきたい。そんな思いで、より良い運動遊びの実践に取り組んでいきました」
聴覚障害の子どもたちの体力づくりを考えるため、特別支援教育を大学で学んだ後、仙台市の児童館へ運動遊びを「たのしく」「わかりやすく」「安全に」指導できる体育指導員として就職。その後ずっと児童館で子どもたちと向き合ってきた渡邊さん。
「教育的な理論に沿いながらも児童館らしい遊びの要素を取り入れてきました。学校で使わないような大きなボールや珍しい道具を持ってきたりすると、児童館の子どもたちはとても喜びました。こんなに喜んでくれるのなら、もっと運動遊びを勉強したいなと思って研究を始めたんです」。
◆「きんにく~ず」の誕生。1日で解散の予定が10年継続の活動へ。
ある時、当時の体育指導員に向けた研修を担当することになり、全員が顔を合わせる機会がありました。メンバーの多くは20代の若い子たちで、「ああ、この子たちならできることがたくさんある」と感じていたところに、チャンスが訪れました。県内の児童館職員向けのイベントで、何かできないか打診されたのです。渡邊さんは、それを「体育指導員たちが、効果的な運動遊びとは何かを発信する良い機会だ」ととらえました。
体育指導員たちは、そのイベントに有志団体として参加することになり、この日だけ臨時にグループを結成。その名も便宜的にわかりやすい「きんにく~ず」となりました。
その日だけで解散の予定だった「きんにく~ず」。ところが、このときつながりができたメンバーたちは「運動遊びをしていく中で、普段の悩みや困っていることなどをシェアしながらいっしょに勉強する仲間ができた。このまま続けたい」という思いを渡邊さんに伝えてきたのです。
活気あふれる雰囲気のチームはその後も運動遊びの楽しさを広める活動を続け、今年で10周年を迎えます。
◆月一の勉強会で、報告、実践。課題を解決してよりよい運動遊びを作る
当時、渡邊さんは子どもたちの遊びに関して、子どもたち自身が忙しくて運動する時間が取れていないということと、ケガが非常に多いことが問題だと感じていました。
「『転んだときに手が出ないよね』という話題は出るものの、だからどうするという話まではなかなか発展しないんです。反射が原因ということがわかっているなら、そこに効果的につながるような遊びを提供していきたい。そんな思いで、より良い運動遊びの実践に取り組んでいきました」
「きんにく~ず」は、月に一度の勉強会で、それぞれ現場でどんなことをして遊んだのか、もう少しこうやるともっとおもしろいのではないか、どこがうまくいかなかったのかなどの意見を出し合います。その場で遊びを実践。次の定例会までに各々の現場で実践し、再び報告、そして実践を繰り返し、改善し続けていきました。
2年後の2011年。「きんにく~ず」の活動にも大きな転機が訪れます、東日本大震災です。
「東日本大震災のことを一言でいうことは難しいけれど」。慎重に言葉を選びながら、渡邊さんは語ります。
「震災後、4月に大きな余震が来ました。それまでなんとか児童館が子どもたちの居場所として機能していたところに、大人がたくさん避難してきて、ますます子どもの居場所がなくなってしまいました。そのため子どもたちがどんどんストレスを抱えているという報告を活動の定例会の中で聞くようになりました」
子どもたちの不安は広がっていたものの、子どもたちのほうから「遊ぼうよ!」といわれて、渡邊さんたちは、3月末には子どもたちと走り回っていたといいます。子どもたちの中には、いつもの遊びをすることで、早く日常をとりもどしたい気持ちがあったのだと渡邊さんは感じています。
狭い場所で遊ぶには? 人数が少ないときに遊ぶには? さまざまな条件の中で子どもたちが楽しめるよう、工夫が重ねられました。
「子どもたちの『つまらない』『待ち時間が長いよ』といった声から、『じゃあ、こうしようか』と作り上げていきましたから、子どもたちが教えてくれたものも大きいですね」
自分たちも被災者。しかし、だからこそ意味のある支援がもっとできるのではないか。仙台の自分たちより、もっと辛い状況であるはずの福島の子どもたちにも何か支援をしたい。突き動かされるように、全国にある児童館の支援を行う児童健全育成推進財団の阿南健太郎さんに相談すると、「『きんにく~ず』にいつか必ず支援をお願いする日が来るから、準備して待っていてほしい」と声をかけられたと言います。「きんにく~ず」発足当時からずっとその活動を見守ってきた阿南さんのメッセージは、渡邊さんたちの大きな支えとなりました。
その後本格的に活動が再開できるようになってからは、依頼に応じて親子運動プログラムを提供したり、特定の市町村で、地域の先生方に運動遊びプログラムを伝えていくという活動も継続的に行っています。またここ数年では、福島の先生方をお招きして運動会を行ったり、JUMP-JAMについての講演を行うこともできました。
阿南さんからJUMP-JAMの話があり、迷うことなく参加を決めたのは、2016年のこと。
◆東日本大震災で思うこと
2年後の2011年。「きんにく~ず」の活動にも大きな転機が訪れます、東日本大震災です。
「東日本大震災のことを一言でいうことは難しいけれど」。慎重に言葉を選びながら、渡邊さんは語ります。
「震災後、4月に大きな余震が来ました。それまでなんとか児童館が子どもたちの居場所として機能していたところに、大人がたくさん避難してきて、ますます子どもの居場所がなくなってしまいました。そのため子どもたちがどんどんストレスを抱えているという報告を活動の定例会の中で聞くようになりました」
子どもたちの不安は広がっていたものの、子どもたちのほうから「遊ぼうよ!」といわれて、渡邊さんたちは、3月末には子どもたちと走り回っていたといいます。子どもたちの中には、いつもの遊びをすることで、早く日常をとりもどしたい気持ちがあったのだと渡邊さんは感じています。
狭い場所で遊ぶには? 人数が少ないときに遊ぶには? さまざまな条件の中で子どもたちが楽しめるよう、工夫が重ねられました。
「子どもたちの『つまらない』『待ち時間が長いよ』といった声から、『じゃあ、こうしようか』と作り上げていきましたから、子どもたちが教えてくれたものも大きいですね」
自分たちも被災者。しかし、だからこそ意味のある支援がもっとできるのではないか。仙台の自分たちより、もっと辛い状況であるはずの福島の子どもたちにも何か支援をしたい。突き動かされるように、全国にある児童館の支援を行う児童健全育成推進財団の阿南健太郎さんに相談すると、「『きんにく~ず』にいつか必ず支援をお願いする日が来るから、準備して待っていてほしい」と声をかけられたと言います。「きんにく~ず」発足当時からずっとその活動を見守ってきた阿南さんのメッセージは、渡邊さんたちの大きな支えとなりました。
その後本格的に活動が再開できるようになってからは、依頼に応じて親子運動プログラムを提供したり、特定の市町村で、地域の先生方に運動遊びプログラムを伝えていくという活動も継続的に行っています。またここ数年では、福島の先生方をお招きして運動会を行ったり、JUMP-JAMについての講演を行うこともできました。
◆JUMP-JAMでこれまでの想いがカタチに
阿南さんからJUMP-JAMの話があり、迷うことなく参加を決めたのは、2016年のこと。
「JUMP-JAMの協力パートナーがナイキということで、運動遊びに対する考え方が合うのかどうか、最初は少し戸惑いもありました。しかし、JUMP-JAMプロジェクトの趣旨を書面で見たときに、鳥肌がたつほど感動したんです。そこには『きんにく~ず』が発足してからずっと、「得意不得意にかかわらず、どの子も体を動かすことを楽しんでほしい」」「子どもたちの成長に運動遊びは欠かせない」など『ここが大事でこうしたい』という想いが全部書いてあったんです」。
ただ、「勝ち負けにこだわらない」というJUMP-JAMの趣旨はこれまでになかった新しい考え方で、始めは戸惑いもあったと振り返ります。しかし、JUMP-JAMを深く知るうちに、この考えは運動遊びを拡げるきっかけになるのではないかと確信したそうです。
こうして、JUMP-JAMの活動に参加することとなった渡邊さん。当初は「きんにく~ず」が持っている運動プログラムを、他のJUMP-JAMスタッフに紹介し、そこにアレンジを加えて行ったり、新たなプログラムをスタッフと共につくったりしてきました。
「私たち『きんにく~ず』は、全国に運動遊びを広めたいという思いでやってきましたが、運動遊びが当たり前に行われて『きんにく~ず』が必要のない世の中になるのが、最終目標なんです」と笑顔で語る渡邊さん。
その最終目標に向けての扉が、JUMP-JAMによって今開いたという実感があると言います。
「運動遊びの楽しさを知る仲間が増えれば、関わる子どもの数が増え、彼らが親になれば、それを子どもに伝える。楽しかったことが次世代へつながっていきます。どんどん広がって日本全体が元気になって行けばうれしいですね」
定期的にJUMP-JAMの活動をしつつ、話し合い、体を動かし、地元に戻って「きんにく~ず」に成果を下ろす。「きんにく~ず」のような地域に根を張った活動が、JUMP-JAM活動をしっかりと支えています。
(取材・文 宗像陽子 写真 平林直己)
ただ、「勝ち負けにこだわらない」というJUMP-JAMの趣旨はこれまでになかった新しい考え方で、始めは戸惑いもあったと振り返ります。しかし、JUMP-JAMを深く知るうちに、この考えは運動遊びを拡げるきっかけになるのではないかと確信したそうです。
こうして、JUMP-JAMの活動に参加することとなった渡邊さん。当初は「きんにく~ず」が持っている運動プログラムを、他のJUMP-JAMスタッフに紹介し、そこにアレンジを加えて行ったり、新たなプログラムをスタッフと共につくったりしてきました。
◆仲間が増えれば、運動遊びの楽しさが次世代にも伝わっていく。
「私たち『きんにく~ず』は、全国に運動遊びを広めたいという思いでやってきましたが、運動遊びが当たり前に行われて『きんにく~ず』が必要のない世の中になるのが、最終目標なんです」と笑顔で語る渡邊さん。
その最終目標に向けての扉が、JUMP-JAMによって今開いたという実感があると言います。
「運動遊びの楽しさを知る仲間が増えれば、関わる子どもの数が増え、彼らが親になれば、それを子どもに伝える。楽しかったことが次世代へつながっていきます。どんどん広がって日本全体が元気になって行けばうれしいですね」
定期的にJUMP-JAMの活動をしつつ、話し合い、体を動かし、地元に戻って「きんにく~ず」に成果を下ろす。「きんにく~ず」のような地域に根を張った活動が、JUMP-JAM活動をしっかりと支えています。
(取材・文 宗像陽子 写真 平林直己)
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